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藍作家

馬上渚

関東最北端、北茨城市。福島県との県境にある旧富士ヶ丘小学校は2016年に廃校した。その翌々年「芸術によるまちづくり」をテーマに掲げた取り組みの一環として、芸術家やクリエイターが活動するアトリエ「期待場」として リニューアルされた。その教室だったアトリエを利用する作家・馬上渚さんは「海と山しかないと思っていたけど、海と山がある素敵な場所と思えるようになった」と話してくれた。

馬上渚さんの作品

馬上さんのアトリエに入るとすぐに青く染まった木材が目に飛び込んでくる。見渡すと青いものがあちこちに並んでいる。

馬上さんは、耕作放棄地に藍を育てて、染色する作家。父親の影響で、幼少の頃からものづくりに親しんでいたという。北茨城市の中郷町で育ち、建築を学ぶため大阪へ進学。卒業すると建築ではなく介護福祉の道を選んでUターンした。

藍を育てはじめたのは3年前。友人に勧められ興味が湧いてやってみた。ものづくりの師匠でもある父に相談すると、近所に耕作放棄地があると教えてくれ、藍の栽培を一緒にやってくれた。初年度はやり方も分からなくて大量に植えた。夏には雑草に囲まれてしまった。2年目はコントロールできる量にした。畑にいると声を掛けてくれたり手伝ってくれる人が現れて、藍の栽培は地域のコミュニティにもなっている。

自宅で作業するには手狭なので、期待場にアトリエを借りることにした。「自宅からクルマで30分かかるけど、移動の間も楽しみだし、ワークショップを開いたりもできるから便利で気に入っている」アトリエには、藍が干してあって、馬上さんは種を採取している途中だと見せてくれた。アトリエにある青いものはすべて馬上さんが育てた藍の色。自然のものだから、染めるモノによって色の発色が変わる。

馬上さんが育てた藍

馬上さんが藍を確認する様子

馬上さんは染色家というよりは、藍を育てて染める、その工程すべてを楽しんでいる。こう話してくれた。
「染め体験をやったときに参加者の顔がわーっとなって喜んでくれてわたしも新鮮な気持ちになれたんです。藍を育てて染めるまでの工程って長いんだけど、やっぱり楽しいんです」

馬上さんの屋号はASOVIVA。「みんなが楽しめる遊び場を提供すること。それからVIVAには生きる喜びという意味を込めている」と話してくれた。

馬上さんが育てた藍

馬上さんが育てた藍

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