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タイダイ作家

大森健史
(Grateful Tie-Dye Factory)

「タイダイ」という言葉を知っているだろうか。日本では「絞り染め」と訳した方が馴染みあるかもしれない。1960年代にアメリカで誕生したこの技法を使った作家が北茨城市に暮らしている。大津港近くの川のほとりに倉庫を改修したアトリエに伺い話を聞いた。

大森健史

多くを語らない大森健史さんは取材を進めるうちに、世界を舞台に活躍してきた経歴を明かにしてくれた。

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大森さんがタイダイと出会ったのは、高校一年生のときだった。アメリカでホームステイを体験したときホストファミリーが着ていた色彩豊かなタイダイのTシャツに衝撃を受けた。3年後に再びアメリカへ渡り、タイダイを自分でやるようになった。6年間アメリカの文化をたっぷり吸収して帰国した後、日本で働きながらタイダイを続けた。2000年代初頭、インターネットが社会に浸透し始めた頃、友人がタイダイのグッズを販売するサイトを作ってくれた。作品はすぐさま反響を呼んで、副業が本業になった。そのとき「グレイトフルタイダイファクトリー」というブランドを立ち上げた。 本格的に作業できる広い場所を探すと、縁あって笠間市に移住した。それから数年して、北茨城市の大津町の工場跡地に出会い、そこを拠点にした。 大森さんのタイダイはすべて独学だ。どうやれば、イメージした通りに染まるか、ひとつひとつの作業で試行錯誤を重ねてきた。一日の仕事を朝起きて「染めるか畳むか」とシンプルに語るその奥は深い。染め方そのものを創り出している。畳み方自体が創作している。畳まれた布はまるで生き物のようだ。

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独自に追求してきた技術は、ファッションや商品の枠を超えてアートの領域に到達した。世界各地のアートイベントから参加のオファーが来るようになり、ときには数ヶ月海外に暮らし、北茨城から世界を舞台に活動するようになった。世界中を旅しながら、縫製の工場を立ち上げた。世界中に卸先の店舗のネットワークを作り上げた。五浦天心美術館でも3000人を動員する個展を開催した。 そうして「世界を旅する染師!Grateful Tie-Dye Factoryの大森 健史」になった。

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世界を飛び回っていても拠点は北茨城市だった。海と山があって制作に没頭できる環境が気に入っているそうだ。朝起きるとまず海岸沿い8キロを散歩して頭を空っぽにする。そして染めるか畳むか。立ち止まることなく日々創作している。タイダイに親しんでもらえるように、地域の人たちへワークショップなども開催している。近いうちに、海沿いに構えたアトリエで海外のタイダイアーティストが制作・発表できる場にしたいと話してくれた。大森さんは、きっと今も新しい模様を生み出している。

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