作家
木彫・木工作家
平良重
芸術に向き合うとき、それがどういうことなのか、考えてしまうことはないだろうか。例えば鑑賞者なら「理解できる/できない」とか、やってみたいけど無理そうだ、とか、作り手なら、何のためにつくるのか、作った作品をどうやって売ろうか、などと。
「さあ今日はなにを作ろう。毎日そうやってはじめる」と嬉しそうに言う平良重さんは現在76歳。かつての仕事場をアトリエにして、日々制作に取り組んでいる。そこには、苔や植物、木彫のオブジェやお面、古民家のミニチュアなどが雑多に並んでいる。
平良重さんは1944年生まれ、宮城県の岩出山出身。1975年、北茨城市の企業誘致で、まだ何もなかった大津港の駅前に縫製の会社ごと移ってきた。高度成長期だったからとにかく働いた。その会社で会長まで勤め64歳で退職した。そのときこう考えた。
「以前のことは忘れて自由人になろう。さて何ができるかな?」
忙しく働いているなかで興味を持ったことがあった。取引先のところでバードカービングに出会った。60歳から仕事の傍ら趣味程度にやっていたのを、自由人になってもっと本格的にやることにした。木を削っているうちに記憶が蘇ってきた。古い農家の竈にあった大きくて恐ろしいお面。あれは何だったのだろうか。調べてみると宮城県の伝承の竈神彫りだった。やってみたくて、教えてくれる人を探しながら宮城県内を旅行した。探すこと3年。噂を辿って行きついたのは自分が生まれた町、岩出山だった。先生は出会ってもすぐには教えてくれず、拝み倒して1年間通って技術を習得した。
基礎を学んだあとは自分のやり方で木彫を続けた。ひとつ技術を身に付けたら、同じように楽しそうなこと、やってみたいことに積極的に手を出した。たまたま通りかかったところで里山づくり(現・高原自然塾)をやっていると聞いて参加し、そこで古民家の模型作りの講座にも通った。苔玉づくり、チェンソーアート、面白いと興味を持ったら、身を低くして何でも教わった。そして身に付けたモノづくりの楽しさを、木彫や苔玉づくりの講師として、いろんな人に伝えている。
平さんは言う。「基礎はしっかり教わって、そこからもっと簡単な方法を探す。グレードを落とさずに誰でも楽しめるモノづくりがいい。そうすれば自分も楽しく周りも楽しくなる。だから、素材もできるだけ身の回りのモノを使うように心がけている。」
どこかに楽しさやユーモアのある平さんの作品たち。
平さんは言う。「生きるって何だろう。幸せって何だろう、って考えるとき、そうやって考えているうちが幸せだったりする。モノづくりも同じで、作って無心でいるときが楽しい。だから、いろんなことをやってみて、また別のことをやったりして。そうしているうちにある日、途中だったものが完成していたり、続きの作業を思い付いたり。だから、作って幾らで売ろうとか、どうしようとか、あんまり突き詰めて考えない。無理なく自由で自然なモノづくりがいい。」