作家
漆工芸家
山縣 和美
午後7時。この日夜から漆塗りの作業をしてらっしゃるとのことで、北茨城市内にある漆工芸家作家の山縣さんの工房、張虎家具工房を訪ねた。一見雑然としているが良く見ると秩序があり整理整頓されている工房。材料となる木材や制作途中の家具のパーツ、大小様々な工具や機械などがまるでオーケストラの団員のようで、山縣さんはそれらをコントロールする指揮者のよう。 そんな一種独特の緊張感に包まれて、取材がスタートした。
なんだ、家具ってこの程度のものしかないのか? まだ木工を始める前、全く別の分野の仕事をしていた当時、たまたま入った大型家具屋で山縣さんはそう思ったのだという。「家具としての存在感がなかったというか。だったら、自分の手で家具を作ってみたくなった。」 そうして、故郷北茨城を出て、長野県松本市にある職業訓練校で木工を学ぶことになる。「最初は家具を作る職人になれれば良いなと思っていて、独立する気もなかったんですけどね。」
学校を出て、師匠の元で木工技術を習得する中で山縣さんに大きな影響を与えた人物がいる。 漆芸、木工家の黒田辰秋氏だ(1904-1982)。 青年期に柳宗悦らが掲げる民藝運動に加わり、後に無形文化財である木工芸の保持者として人間国宝にも選出された人物。いち職人から作家への道を志した山縣さんは、黒田辰秋氏の作品と存在に大きな感銘を受けた。「今でも迷ったら黒田氏の作品を見てヒントを得ることが多いですかね。追いつきたくても追いつけない程の、大作家なんですけどね。」 山縣さんの象徴である漆家具の魅力を知ったのも黒田辰秋作品の影響が大きい。「でもね、ここで独立して工房を始めた時は漆塗りにこだわってだけやろうとは思ってなかったんですけどね。だんだんとやればやるほど、漆ばかりになっていきましたね。」漆の魅力をお聞きすると「これより存在感のある塗装を見たことがないからです。」と。 確かに漆塗りの味わいの深さは感応的ですらある。
現在制作中の仏壇 100歳で亡くなられた方の仏壇だという。
張虎工房の名前の由来は、山縣さんが何が本物で何がニセモノなのかを自分に問う意味であえて 「まがいもの」や「ニセモノ」の意である「張子の虎」を工房の名前に掲げたのだという。大量生産大量消費に慣れきった時代に、ますます「そのもの」自体の価値が評価されることが少なくなっているように思える。そして、ものづくりをする側も、ものを生み出すプライドよりも条件や納期を優先する場面も多いであろう。そんな中、山縣さんは自分なりの本物を生み出すことだけを見据え、今日も制作に打ち込んでいる。