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陶芸

會田 恵美

芸術家は作品を作り、その作品の価値を高めることで社会的な意義を得ていく。 一般的にはそう思われているが、會田さんは陶芸を使ってそんな既成概念をここ北茨城で飛び越えて活動してきた。ある時は山奥の集落で、ある時は乱暴者で荒れる高校の教室で、ある時は東日本大震災被災地で。金八先生にも負けない會田恵美さんの物語。

會田 恵美

出身地は北海道帯広。焼き物が好きで、帯広で開催される陶磁器関連の展覧会にはいつも顔を出していた。 ある時京都から高名な陶芸家の展覧会で入場を断られた。Tシャツにジーパンだった。ふざけろー!陶芸はみんなのものだろうと。負けん気の強い會田さんは思った。だったら私が作ろうじゃないか。務め仕事の合間を縫って、自己流で一心に打ち込んだ。その會田さんの情熱に務め先の社長さんも陶芸部まで作って協力してくれた。本気でやるなら本気で学べる場所へ行こうと決心し、単身笠間の窯業指導所へ。 そして独立を機に五浦天心焼研究会の初期メンバーとして北茨城の現在も住まわれる平袖地区へ引っ越してきた。

作業風景 その1

作業風景 その2

「ここは人情村で。わたしが初釜の時、村のお母さん達がお赤飯やご馳走を持ってきてくれてお祝いしてくれて。100人以上集まって下さったんですよ。 お米なんて、私20年ここに住んでますけど5kgのお米を1回買っただけで。恵美ちゃんのとこ、お米そろそろないだろうって持ってきてくれたりするんですね。」村中にお父さんお母さんが出来た。

會田 恵美

そんな中、高校で非常勤講師として陶芸を教えてくれないかと話しが舞い込む。 持ち前の行動力で軽い気持ちで引き受けたら、これが大荒れの学校。前任者は生徒に半ば辞めさせられたような形。だが、そこは會田さん。よっしゃあ、やってやろうじゃん!まずは、大将を説得してやろうと真正面から向き合った。 「そもそも、私は先生だと思って子供達に接してませんから。同じ目線に立つこと出来たと思うんですよね。彼らが何を考えて、何を不満に思っているのか、私も同じようなタイプだったから分かるんですよね。」村ではお父さんお母さんがたくさん出来て、学校では子供達がたくさん出来た。

作品 その1

作品 その2

震災で親戚を亡くした。陶芸を使って被災者の方々のために自分が出来ることを考えた。少しでも心が癒されるものを作りたい。震災以降、食器は作らなくなった。そこで思い立つ、お地蔵さんを作ろうと。みんなにほっこりしてもらいたい。 そう、これが會田さんが考える陶芸。最初っから何にも変わってない。陶芸はみんなのものだろうと。

陶芸 會田 恵美

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