作家
画家
毛利 元郎
一見すると、写真と見間違えるようなイタリアの風景が描かれた絵の数々。 だがそれは、優れた絵画技法を単にお披露目するような絵ではない。完成されるまでの工程は極めてパーソナル。 しかし、それが作品になると普遍的になる。画家の毛利元郎さんの絵には、決して消費されないものが宿っている。
東京生まれ、育ちは神奈川県の川崎。子供の頃から絵を描くのが好きだった。 絵を描くことが好きという子供は割合多いと思うが、成人に向かう過程で徐々に絵を描く楽しみから離れていくのが一般的なんだろうと思う。だが、毛利さんは絵と向き合い続ける人生を選択することになる。美大を出て、芸術家としての基準を探しにイタリアはペルージャ、トリノで暮らした。 「あぁ空が綺麗だなと初めて思えた場所。」それは毛利さんにとって、生きるために大事な原風景だった。
「風景を描くのが目的ではないんです。もっと言えば、絵を描くことが目的ではない。 自分がそこで感じたことを表現する方法でしかないんですよね。」 「自分が感じたことを鮮明に思い起こしながら描くので、一つの絵に取り掛かったら毎日イタリアのその場所にいられるわけです。 撮った写真を見ながら描くわけですけど、写真だと物足りないんです。自分とイタリアとの関係を描いているとでも言うんでしょうかね。」 キャンバスに向き合うことは、毛利さんにとって極上の私的時間なのだろう。
以前は、車を挽肉でコーティングした作品や、自らの体を型どった焼死体を連想させるような作品などバリバリの現代美術に取り組んでいた毛利さん。 精力的に作品を制作し、発表されていたが、現代美術は常にその時代と絡み合うので一時の芸術として消費されてしまう可能性がある。 それで良いのだろうか?いくら自分が感じたことを表現しても、それが伝わらなければ意味がないのでは? そんな気づきから、時代を超えても残るような普遍的な作品を作りたいと、今の絵画の手法に変化していったという。
毛利さんが絵を描き、奥様が額縁を作る。元ファッション関連のデザイナーである奥様との出会いもイタリア。 人生の価値観も、芸術に向き合う価値観も共有出来る良きパートナー。奥様は、東京生まれの東京育ち。 毛利さんのお父様の実家であった北茨城のこの地に引っ越してきて20年あまり。抵抗はなかったのだろうか?「私もイタリアが好きで、そんなイタリアのように人と自然が穏やかに調和しているこちらの田舎の方が、東京より肌に合いましたね。」
実は毛利さん、北茨城の中郷の海も描かれている。 なぜそれを描かれているのか、うっかり話しを聞き忘れてしまった。だが、どういう思いと時間が込められているのだろうかと想像するというのも、毛利さんの作品を鑑賞する楽しみでもあろうと思う。